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ピアノマイスターとは?

ドイツは、アメリカ、日本につづく第3の経済大国です。そんなドイツには「マイスター」と呼ばれる高度な技術をもった職人がいます。中世から伝わる職匠(親方)制度が今も大事にされていて、多くの職種で厳しく徹底的な手職の訓練がされているのです。


「マイスター(Meister)」とはドイツ語で職人の「親方」「名人」を意味する言葉で、国が認めた職人としての最高の位です。何年も修行し、専門的な技術を身につけ、資格試験に合格して初めて「マイスター」の称号を名乗って営業することを許されます。
ヨーロッパの手工業には、古くから徒弟・職人・親方という身分資格階梯がありました。中世のころ、優れた技術を求めてレアリング(徒弟)がマイスター(親方)を訪ね歩くという職人遍歴の「修行の旅」があったのです。ドイツでは、ほぼ全域で、ほとんどの職種の手工業にこの「遍歴強制」が導入され、19世紀末まで続きました。
この徒弟制度の慣習に基づき、1953年9月に法制化した職能訓練の社会制度が「マイスター制度」です。マイスターは政府が与える国家資格です。この制度がドイツの伝統的な職人気質を築いてきました。
2003年の手工業法の改正によりマイスター資格の有無による営業上の制約は緩和されましたが、ドイツにおいてマイスター有資格者がその分野のエキスパートとして引き続き信頼や尊敬を集めていることは間違いありません。

私どもユーロピアノ技術者はピアノマイスターである加藤技術部長を中心に、日々研鑽を積んでおります。

ピアノマイスター奮戦記 ユーロピアノ技術部長加藤正人

マイスター試験の学科準備のため、1992年9月から始まるマイスター・シューレに入学。マイスター試験は国家試験なので試験準備の予備校と言う感じである。

勉強する科目は以下のとおり。

ピアノマイスター専門の:様式楽、楽器学、力学、音響学、材料学、設計等
他のマイスターと共通の:会計、簿記、職業教育、法律

みっちり一年間、ドイツ人16名、スイス人1名、日本人1名というクラスで勉強した。

なんといっても大変だったのはドイツ語の授業を理解することだった。学校のある地域はシュヴェービッシュと言って、ドイツ人にも方言が聞き取り難い地方で、シュベービッシュの辞書があるくらいに特異な方言である。先生方は丁寧にしゃべっては下さるが、中には自分にはどうしても判り難い発音でしゃべる人もいて、記述されたものを見てはじめて理解できるということがしばしばあった。予習復習等、毎日5時間以上勉強していたと思う。

ピアノの設計や音響学をする上で三角関数やログの計算は普通に出てくるので同僚のドイツ人で数学の苦手な人には結構こういうのは辛いようだったが、自分には高校の数学の復習のような感じで特に理解不能に陥るということは無かった。
それで、仲のよい同僚に数学を教え、逆に相手が得意な法律等を教えてもらう、という感じのgive and takeのよい関係が成立していた。

専門科目の中では様式学が楽しかった。
ロマネスク、ゴシック、ルネサンスの教会を中心にした建築と家具の様式、あるいはバロック、ロココ、ユーゲント各時代の様式の中での音楽観及び楽器の変遷について理解することは、ドイツでの生活・仕事の中で感じていた様々な疑問解決への大きな糸口になった。

実技部分では木工に苦労した。
ピアノ製作はベヒシュタインでかなりの部分まで教えてもらっていたので大きな問題を感じていなかったが、ミニチュアのバック(支柱、響板、響棒、駒等) を寸法を指定されて簡単な図面書きから2日で仕上げると言う試験があったので響板のはぎ合わせや、駒ののみ仕上げ、支柱のほぞ合わせ等、何度も練習をした。
ドイツの同僚の多くは若い時期に工場に入っていて木工の基礎はかなりのレベルでできている人が多いので、彼らのレベルに到達するのが一苦労だった。

工具の違いによるとまどいもあった。
ドイツの鉋もノコギリも「押す」ことによって切れるようになっている。反対に日本のは「引く」ことで切れる。
ノミはドイツの歯は固い金属で力で押し切る感じ、日本のは柔らかめの鋼を産毛が切れる位鋭く磨ぎ、力でなく「気」で切る感じ。力加減が違う。
ベヒシュタインの工場ではどっぷりドイツに浸かろうと日本の工具は殆ど使わないようにしていたが、さすがに試験前は日本からノコギリと仕上げのノミを送ってもらい試験に備えた。
(鉋だけはドイツのが性にあった)

試験:
ピアノとチェンバロ製造のマイスター試験は当時2年に1回行われていた。
そのとき試験を受けた同僚は18人、そこに旧東独のマイスターシューレで勉強をした人たち(人数は正確に記憶していないが十数人だったと思う)が加わり、一緒に受験した。自分が受験した93年から統一ドイツの試験という事で、試験が旧東独のメンバーと一緒になった。
その中にはブリュートナーの息子さん、指揮者のクルト・マズアーの息子さん、チェンバロメーカーのリンドホルムの息子さん、シュタインベルクの現マイスター、ベヒシュタインの技術部長代理になったアルブレヒトさんなど、今一線で活躍しているマイスターが揃っていた。

学科試験は労働教育法から行われた。
内容は、全くピアノ製造に関係ない若者にピアノ修理か製作のある工程を覚えさせ実際にやってもらうというもの。
自分にはパン屋の見習い職人の若い男性を連れてこられた。従事してもらうピアノの調整作業の工程の意味と方法を説明し、作業をやってもらった。ドイツの典型的な若いお兄ちゃんだったが物わかりのいい人だったので、自分のドイツ語も理解してくれて案外上手く行った。
さらに青少年労働法、労働基準法がマークシートの筆記試験で行われた。

法律は運転免許の試験と同じような感じ。正しい回答か間違った回答を4~5つの回答から選ぶマークシート方式で、ほとんど学校で習うことが出るのでドイツ人でまじめに授業を聞いていれば問題なくできる範囲だったと思う。外国人の自分にとっては、特に法律に興味があるわけでもないので本当に大変だった。
簿記に関してはパターンを掴むまで少し苦労したが、ルールさえ覚えてしまえば大きな問題は無かった。

専門学科は様式学、楽器学、材料学、力学、音響学など、ピアノ製造に関する専門知識の筆記試験。
大きな設問があり、それについて長々と説明を書かなければならない論文形式だったので、外国人の自分には少々辛かった。

実技試験:
ルードヴィックスブルグの学校の工房を使用し行われた。
木工から始まり、ピアノバックのミニチュアを機械を使用しないで2日間で作る。
次に自分で設計したピアノの製図と原価計算書の提出をし、それが口述試験になっていた。

最後がマイスターシュトゥックと言われるピアノ本体の製作。
試験で製作するピアノは自分が働いていたメーカーや過去の研修生時代に修行したメーカーの物を作る場合が多いようで、私はベヒシュタインの現行モデルでクラシック118と呼ばれるピアノを作った。これは確か制限時間が6日位だったと記憶している。

幸いに私は合格したが、運悪くだめだった人もいる。
しかし落とした科目を3回チャレンジできるので、自分と一緒に学校に通った仲間はその後全員マイスターになったと聞いた。

日本人である私がピアノマイスターにチャレンジし、得たものは、ピアノ製作技術そのものだけではなく、その根底にある文化、生活様式を肌で感じることだったと思う。