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2006.7.30 アシュケナージ スペシャル・インタビュー

~第一回ベヒシュタイン国際ピアノコンクールに寄せて~

 ベヒシュタイン・ニュースに掲載されたアシュケナージ氏の特別インタビューです。

-ベヒシュタイン(以下CB):あなたご自身が初めてコンクールを受けた時の事について覚えていますか?とても緊張されましたか?

アシュケナージ氏(以下A):1955年の事でした。世界各国の若いピアニスト達が一同に会するのはとても楽しい経験でした。その事があまりにも素晴らしかったので、緊張していたかどうか覚えていないのです。皆ひたすらに演奏し、仲間達と音楽談義に湧いていました。その一年後、エリザベス国際ピアノコンクール(ブリュッセル)に出場しました。その時は、他の出場者達に比べ、あまり神経質になっていなかったので、幸運を得られたのだと思います。ここで忘れてはならないのは、私が“ソ連在住のソ連国民”であった事です。つまり、西側への旅行権を持ってないのが普通でした。政府から許可を得られた場合のみ、国境越えは可能でした。ですから、旅行をし、ソ連国内では出会えないような人々に会えるという事自体が、大きな刺激だったのです。

-CB:今日に於けるコンクールの重要性についてお聞かせください。

A:「傑出した才能を発掘するチャンス」という意味では、コンサートの場と同様に素晴らしいと言えます。けれども、その純然たる比較というものが音楽にとって正しいものとは言えません。この良い面と悪い面の両方が演奏の音楽的、芸術的な品質と結びついて大きな役割を果たすのです。ですが、大きな才能を発掘するという長所の方が強いように思います。

-CB:ベヒシュタインコンクールにご後援いただくにあたって、何が動機になりましたか?

A:私にはベヒシュタイン社のとても良い友人がいます!熱心な二人のリーダー、B. キュッパー氏とK.シュルツェ氏が大好きなのです。また、戦前のとても素晴らしいベヒシュタインをよく覚えています。モスクワ高等音楽院の中に幾つもありました。その中の何台かは当時の政府が購入したものでしたが、他は戦後のドイツからソ連国が持ち帰ったものでした。つまり戦利品です。これらの素晴らしいベヒシュタインを持てることは、音楽院にとって大変な幸運でした。あの成熟し切った、この上無く美しい音をよく覚えています。ベヒシュタインが現代に於いて、再びその伝統と結び合わされ、商品として蘇った事をとても誇りに思います。これは楽器にとって大変良いことです。コンクールと優れた楽器の関係は、とても健全なものであると信じています。ベヒシュタインのグランドピアノとアップライトは本当に素晴らしい。きっと多くのピアニストに愛されるに違いありません。私はベヒシュタインをとても好きです。私は一生涯ベヒシュタインを好きでいます(笑)。私は全ての良い楽器が好きです!

-CB:今回のコンクールに出場した若い芸術家達へ、メッセージをどうぞ。

A: とてもシンプルです。「あなたらしくありなさい」。ピアノ、ヴァイオリン、歌、又は指揮であっても同じことです。あなたは音楽家であり、音楽を運ぶメッセンジャーであり続けられるよう、努力してください。もちろん常によく準備されていなければなりませんし、卓越した音楽家であることは簡単なことではありません。器楽的に、そして技術的に高い水準を保たなければなりません。けれどもそこで重要なのは、音楽家は演技者ではなく、メッセンジャーとして聴衆とコミュニケートするものだ、ということを忘れないでほしい。何の為に音楽するのか、ということです。画家ならば、その作品と共に言葉のメッセージを併記するでしょう。何を、何故、何かをするのか、それを通じて何を言おうとするのか・・・それが最も大切な点なのです。

-CB:私たちの時代では、「音楽家であることは難しくなる一方だ」と言われていますが、それは真実でしょうか?

A: 時折、現代は昔よりも大きく違うと確信することがあります。それは正しくないかもしれませんし、そう思い込んでいるだけなのかもしれません。もちろん我々の社会自体がいくらか変化していきます。けれども、この全てにおける変化は“自然”同様にダイナミックなものなのか、確信が持てません。我々の星の人口数は莫大ですし、統計的に考えても人類からは多くの優れた才能が出現するに違いありません。今日、大きなコンサートホールの可能性は展示会場とほとんど同じです。時折、経済的な可能性も秘めていますが、そうでない場合もあります。我々の現代に於いて、あと少し確実に、ベターな状態になれるのだと思います。これは私の考察です。

-CB:ありがとうございました。