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2007.03.01 社長のブログ5:建築家、村井敬氏の見識


昨年はドイツの会社の清算とこの日本会社の改革で多忙を極めました。そろそろ世界漫遊旅行などしたい年頃(?)ですが、益々忙しく、しかも自分で仕事を楽しんでいるのですからしょうがありません。熟年離婚の年頃でもあります。
さて、昨年4月にオープンした[東京芸術センター]は順調に推移していると聞いております。この建物に関連して、私が、音楽について常々述べていることが3つあります。

一つ目は「食欲、性欲についで、第3の人間を規定している要素は、[遊び]である。」ということで、これはオランダの哲学者「ホイジンガー」の説です。この考え方がヨーロッパの文化構造を形作っている。音楽もスポーツも、競馬も全て遊びに源があり、同根です。
二つ目は、「音楽は美的体験で、その源はピタゴラス(前580年頃の生まれ)にある。」これをきちんと理解していないと、楽器の演奏論はスタートしない、ということです。この何故「ピタゴラス」かというつながりは、皆さんどうぞ勉強してください。
三つ目は、ものの違いを認識することで、人間の知恵が発達するわけで、つまりピアノの音も、メーカーによっても、モデルによっても違わなければならない、ということです。ましてや、演奏する人によって出てくる音は違って当たり前です。この違いを沢山聴かなければならないし、又、自分で弾いてもみなければならないということです。
幼児の頃、沢山音を聴いて、音に対する自分の美的価値を認識できるようになり、成長して、楽器の演奏をするようになり、そういう音を得るには、どういうテクニックで実現できるかなどを工夫しなければなりません。
型または形から入る日本の伝統芸術では、同じような音が出てしまうし、テンポ感とかアーテキュレーションも先生の型どおりのまねでは演奏が退屈です。最初は仕方がない、といわれるかもしれません。でも音大に入り、「個」を形成すべき年齢でまだそれではちょっと心もとありません。

かつて[レコードはどちらかといえば聴かないほうがいい]と言った著名な、ピアノ教授がいましたが、そういうテクニック偏重から早く脱しなければなりません。重ねて言えば、音楽はもとより耳の芸術であり、「耳(聴くこと)に始まって、テクニックに至り、そして耳に戻る、(耳によってテクニックを工夫する」=ペダルは耳で踏め、と言われる所以です。ここまでは、釈迦に説法で、申し訳ありません。


さて、ようやく、本題です。
日本のピアノ市場は、ブランド志向というか、右へ習え、というか、国立の音大(音楽科)も公共ホール、購入するピアノのブランドが偏りがちです。学生にとって、ピアニストにとって不幸なことかもしれません。
ホール建築も、常に「残響何秒」ということに捉われて設計しすぎています。これはオケとか、室内楽とか、音が一点から出ない場合は、どの位置でも中庸に聞こえ、しかもホールが大きくなっても、隅々まで響きが届く、という点で、利点はあります。しかし、特にピアノの場合、残響が長すぎる場合、音が上の空間でワンワン鳴って残ってしまう感じがあり、シャープなところが聞こえてこないという欠点もあります。
その点、昔、「FM東京のホール」は、残響の加減が出来、面白い実験ホールだと感じました。もう、20年近く前のことです。
そして、最近のホールで、ピアニストがこの長い残響に頼ったとしたら、工夫をしなくなります。こういうアンチテーゼとしての問題に、あえて挑戦したのが、表題の建築家村井氏でした。

この「東京芸術センター・天空劇場」のオープニングの演奏会で、ヴァイオリニストの斉藤アンジュさんに感想を聞くと、“残響が短いので、弓を放す瞬間を遅くして皆さんに聞こえる時間を長くしたり、ビブラートを大きめに演奏したり、もう工夫をしました“というのです。ピアノの場合、よりレガート風に弾いたり、ペダルから足を離す瞬間を遅くしたり、観客の反応にも耳を傾け、反応を読み取らなければなりません。演奏家が、こういうことを考えなければならない、より厳しいホールの環境は、演奏家を育てることにもなるわけです。
私は、この天空劇場と称するホールにおいて、初めてこういう見識を拝聴したわけですが、こういうことを、分かって実験しようという村井氏の見識と勇気には、感服した次第です。どうか、「東京芸術センター」の音響が悪いから音楽には向かないホールと誤解しないで下さい。

一方、日本の公共ホールは、ピアノ設置に関連しても右へ倣へで、相変わらず、「ウチにはスタインウェイのフルコンが3台あります!」と自慢しているお役所の方もいらっしゃいますが、ある程度以上のレベルのピアノについては、音楽教育的見地からも、いろんなメーカーのものを試していただきたいと思います。せめて、公立の大学も、もう少し、ヨーロッパの文化を分かってほしいと思います。皆さん、この意見は、「我田引水」と思われるでしょう! その通りです!
でも、私どもが、日本でしようとしていることは、“真実”普及のための啓蒙活動でもあるのです。